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 それから、沢山喧嘩した。

 英美里と、それから時々は、木戸や四谷と。

 僕はなんとか木戸たちと同じ大学の同じ学部に進むことができた。

それまでも、それからも、数え切れないほど遊んで、語って、そして浴びるほど酒を飲んだ。

 そして、月日は掴もうとするそばから流れて行ってしまい、僕らは四人で年をとった。

 

 僕ら四人を乗せた軌道船が、地球軌道上を周回する国際宇宙ステーション――ISSに近づいていく。

 眠らない勉強家――英美里の協力によって、僕ら科学部卒業生の三人は、大学の研究室でめざましい活躍を果たした。

 なにしろ英美里は体がないのだから、疲れというものを知らないのだ。

 魂に疲れがあるのだとしたら、残念ながら僕はまだその疲れを癒やす方法を知らない。

 何気ない会話とか、そういう日常で癒やしに近いことができていたらと願ってはみるけれど、うまくできている自信はない。

一番輝かしい功績を残したのは例によって四谷だったが、その四谷に引っ張り上げられるようにして、僕らは研究に没頭し、そしてこうして今、日本を代表する研究者として宇宙にいる。

 僕ら四人は――しかし最大の謎である透明人間化については、未だになんの理論の欠片さえ掴めていない。

しかし、最早そこには四人揃って触れないようになっていた。

触れることが恐いのではなく、ただただ目の前に転がる新しくおもしろい問題を四人で解決してきたら、いつの間にかこんなところまで来てしまった、それだけのことだ。

 あれから、スペースシャトルの打ち上げにかかる費用はずいぶんと安くなった。

それには僕らや、その大先輩である科学部の人々が大いなる貢献を果たしている。

そのおかげで、僕らはこうしていま、シャトルから切り離された軌道船によって、ISSを目指しているのだ。

 僕は、英美里の肩を叩いて、窓の外にある白く輝く惑星を指さした。

「月が綺麗だよ」

「実体のない私には見えませんし、こんなところで死なれたら困ります」

「……君さ、結構理屈っぽくなったよね」

「先輩たちと一緒に過ごしてきたからですよ。先輩と一緒じゃなかったら、理系の勉強なんて絶対しなかったです、私」

 耳元に嵌めたイヤホンに、木戸の声が響いた。

「おーい、準備できたぞ」

昔と比べるとひび割れて、随分とまあおっさん臭い声になったもんだと思う。

いつも一緒にいたから分からなかったけれど、地球を出る前に記念にと見た高校時代の映像では、木戸の声はまだ少年の響きが前面に出ていたのだ。

 僕は木戸に向かって頷き返した。

 船に振動が伝わり、ISSとのドッキングが成功したことを告げるアナウンスが響いた。

「おう、……いよいよだね」

「はい。……ねえ、先輩」

 僕は振り向く。

そこには、AR技術によって実体化した英美里の姿があった。

僕ら三人は圧力センサを搭載したインナーを着ているため、英美里の体に触れることができる。

法的に結婚したり、子供を作ったりすることは叶わなかったけれど、僕の胸ポケットと。英美里の左手の薬指には、同じ指輪が収まっている。

実体のない英美里はともかく、地球から宇宙空間へ移動する僕は、指輪をつけておくことができないのだ。

 僕には生まれ持った体がある。

けれど、彼女のその体は、生まれ持った体とはかけ離れてしまった。

けれど、それが僕にとっての英美里であり、彼女にとっても本当の、真の自分を表現できる姿なのだと、今では僕ら全員が信じているのだった。

「ねえ、先輩」

「なに」

「私が透明になった日も、今日と同じくらい月が綺麗でした。お陰で私は、学校の屋上から飛び降りる勇気を持てなくて、お陰で、先輩たちに出逢えたんです」

 僕は、頷いた。

 視界に描き出された英美里の手を握ると、グローブ内の圧力センサーが彼女の手を握ったという錯覚を僕に与えた。

その錯覚こそがこの世の真実であると、僕は思った。

目に映っているもの、耳が捉えたもの、触れたものたち、それら全てが絶対に正しいという保証など、何一つないのだ。

そしてそのことを忘れさえしなければ、大切なものを掴み損ねたりすることはないということを、僕らは既に知っている。

 僕は前を向く。

木戸と四谷が待つISSの入り口へと向かう。

「行くぞ」

 僕らだけの秘密が、今、世界を動かす一歩を刻もうとしていた。