ついに失踪届けが出た。

 英美里ちゃんが透明になって、一週間後のことだった。

それまで親は一体何をしていたんだと思ったけれど、真実は英美里ちゃん本人の口から――いや端末から語られた。

「わたしは、うまれて、こないほうが、よかったんです」

 英美里ちゃんの声は幾度かのアップデートを繰り返した。

四谷の努力によって機械音声によるバスの乗降アナウンスくらいの精度になっていた。

すごい進歩だと僕と木戸は喜んだが、四谷は著作権フリーの機械音声データ素材を拾ってきただけだとあけすけにいった。

「わたしは、ほんとうのちちおやが、わからないんです」

 僕らは息の詰まるような思いだった。

いつもの午前三時。

部室には、僕と木戸、そして四谷が集まっていた。

椅子に座ってお茶の入ったコップを持って、僕らは英美里ちゃんの端末を囲んでいた。

「おかあさんは、わたしのことが、きらいなんです。だれの、こどもか、わからないから。うまなきゃ、よかったって、よくいってました。わたしは、おさないころから、びょうきがちで、あとぴーとか、ぜんそくとか、でもせだけは、なぜかやたら、のびて、」

 ――それで、いじめられました。

 機械の声で淡々と語られるその言葉が、僕らの胸を締め付ける。

 透明人間になって後悔はないと言っていた。

捨てることになんの未練も沸かない過去の、その内実。

「どうなるのかな」

 僕は呟く。

「どうもこうも、絶対に見つかりっ子ないだろ。何ヶ月か何年か忘れたけど、死んだことになるんじゃないのかな」

「だとしても、おかあさんは、きっと、そうしきなんて、しないとおもう」

 携帯端末の画面に、少女の表情が描かれた。

それは、僕らが作り上げた英美里ちゃんの顔だった。

黒髪、黒目、どこかのゲームかアニメの背景で歩いていそうな、どこにでもありそうな姿。

英美里ちゃんが「これがいい」と言ったとおりにデザインしてできた、普通の姿。

 その普通が、英美里ちゃんの一番欲しかったものなのかもしれない。

 それを正しく作り上げることができているのか、僕は不安になった。

これでいいのだろうかと。

僕らは英美里ちゃんのためになることができているのだろうかと。

 普通の少女の、決然とした表情。

喜んでも、怒っても、悲しんでもいない。

笑っているわけがない。

けれど無表情とは違う。

四谷に教わってモデリングの勉強を始めた英美里ちゃんが作り上げたその表情は、今やどんな感情要素で構成されているのか僕らには分からない。

 けれど、一つ言えることは、その表情だけは、英美里ちゃんが本気で、本心で作りたかったものに違いないのだということだった。

 

 ある日の放課後。

 四谷と木戸が帰ったあとの部室で、僕は教科書を開いて勉強をしていた。

 天才の四谷や、努力することを苦に感じない筋肉バカの木戸とは違い、僕は正直言って、あの二人についていけるような学力を手にするのは一苦労なのだ。

 僕は椅子の背もたれに寄りかかる。

 窓の外は少しずつ暗くなっていく。

 最近ではまともな部活動の時間に部室にいる三年生は僕だけだった。

 活発な一、二年生はと言えば、遊びに行ってしまうことが多い。

 今日も、部室には僕だけだった。

「せんぱい」

 いや、もう一人いた。

 幽霊部員で透明な少女――佐々木絵美英ちゃん。

「なに?」

「わたし、あえたのが、せんぱいで、よかったです」

 僕は、どきりとした。

「そっか」

 なんでもない風を装って、僕は再び机に向かった。

 理由もなく、今よりも楽しい瞬間なんて、一生の間に二度と来ないのではないかと思った。

 

                           

 

 僕らは受験生らしく勉強する一方で、図書館の歴史書を片っ端から引っ張り出してマジックでめちゃくちゃに上書きするかのごとく、狂ったように遊びまくり、そしてサボりまくった。

 爽快だった。

それはもう、一年生の頃に戻ったような気分だった。

 その間にも僕らは勉強を放り出して、英美里ちゃんをこの世界に刻み込むことに必死になった。

英美里ちゃんの声はどんどん不自然さがなくなり、継ぎ目が消えた。

 一度、パソコンを持ち込んで四人でカラオケにいった。

携帯端末の速度では歌うことなんてできないけれど、英美里ちゃんのパソコンのタイピング速度は、もはや僕ら三人をごぼう抜きしていた。

早口な曲からバラードまで、英美里ちゃんはなんでも歌いこなした。

ときどきタイプをミスったり、音を外したりするたび、僕らは笑い転げた。

生まれ持った体で出す声が綺麗だったかは知らない。

歌が上手だったかどうかは知らない。

けれど、僕らと一緒にカラオケをしている英美里ちゃんは本当に生き生きとしていた。

もしかしたら、誰かは言うかもしれない。

機械で作った声と、機械で作った体でできた少女なんて、と。

親からもらった体を捨てるなんて罰当たりな、と言われるかもしれない。

けれど僕は、そこに本当の彼女がいないなんて、あり得ないと思った。

そこに、本当に自分がなりたかった自分がいるのなら、それを否定する権利なんて誰も持ってないと思った。

 

「先輩」

 英美里ちゃんは僕のことを、先輩と呼ぶ。

 七月の初めだった。

あっという間の三ヶ月だった。

その頃には、僕を呼ぶ先輩という声にもいろんなバリエーションができていた。

何しろ僕らが授業を受けたり眠ったりしている間、有機物でできた体を持たず眠る必要さえない彼女は、いそいそと自分の勉強をしたり、練習したりできるのだ。

「分かりますか」

 僕は――ぞくりと背筋に鳥肌が立つのを感じた。

 僕は薄手の黒いグローブに左手を通しており、その左手が、見えない何かにきゅっと手を捕まれたのを感じた。

 僕は顔を上げる。木戸と四谷と目が合った。

「……握ってる」

 基本的に、会話と簡単な表情以外の複雑な動き――例えば歌ったり、モデリングを踊らせたり――をするためには、英美里ちゃんはキーボードと、簡易型のミキサーを使用する。

ミキサーを利用することを提案したのは木戸だ。

バンドマンの兄を持つ木戸が、リアルタイムで絶妙な入出力の強弱をコントロールするなら、音楽に使うミキサーのようなものが一番だと提案したのだ。

それを使って、英美里ちゃんは自分の声や、モデリングの表情、手足の動きなどを細やかに操縦することができるようになった。

 そして今――僕は初めて、英美里ちゃんと手を握っている。

 眼鏡型のウェアラブルコンピュータには、モデリングで作った英美里ちゃんの姿が映し出されており、その左手が僕の左手を握っているように見える。

グローブをつけていない右手で英美里ちゃんの左腕に触ろうとすると、空を切る。

けれど左手には――グローブにフレキシブル基板を搭載して内蔵した圧力センサによって、握手の感触が伝わってくるのだ。

「やったな!」

 三人で、拳をがつんとぶつけあった。

 木戸が椅子に座って笑う。

「それにしても、俺ら四人揃ってバカだよな。せっかく透明人間になったのに、わざわざ実体を戻そうとしてるんだぜ?」

 部室に笑い声が響く。

その中には、少女の鈴のような笑い声もある。

英美里ちゃんが僕を見た。

僕も、笑いながら英美里ちゃんを見ていた。

 いつからか――僕らという言葉が指すものは、三人ではなく四人になっていた。

 

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