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 もしも透明人間を軍事利用できたら。

 考えただけでもワクワク――いや、冷や汗をかくような話だ。

 そんな重大な秘密を僕らは部室で抱え込んでしまった。

四谷が腕を組んで、真剣な表情の木戸を見ながら言った。

その声は心なしか楽しそうだった――最早これは理系の性と言うほかない。

「え、なに、俺らFBIとかCIAに命狙われちゃうわけ?」

「それならまだマシじゃね? ロシアとか、北朝鮮とか、イスラム原理主義者とか、軍事利用したがる奴なんてうじゃうじゃいるだろ」

 僕は、四谷と木戸の言葉を黙って見つめることしかできなかった。
 木戸が言う。

「で、ここで一つ。この場にいる全員に聞きたいんだけどさ。……どうする」

「どうするって、」

僕の迷った声に対して、木戸が言った。

「全てのスペックを測定する前に、今この場で決めておかなきゃいけないことが発生したと、俺は思うんだ。つまり、英美里ちゃんの存在を、ここにいる俺たち以外の誰かに漏らすか、漏らさないか」

 四谷が笑みを消して言った。

「漏らせば軍事。漏らさないならお友達、ってわけか」

 木戸が頷く。

 僕は、二人の表情を恐いと思った。

 僕はこの部室に三人で集まって英美里ちゃんの話をしているとき、なんだってできる気分だった。

 つまり、女の子一人を守るということを、この三人でなら簡単にやってのけることができるに違いないと思っていたのだ。

「そんなの、」

 僕の言葉を、木戸が遮った。

「英美里ちゃんはどうしたい。……もしもばらさないで欲しいというのであれば、俺たちは絶対にばらさない。口が裂けても、拷問されたってばらさない。ただし、俺たちが英美里ちゃんのことをばらさないようにするということはつまり、英美里ちゃんの交友関係だとか、人生、行動に大きな制限が発生することになる。それが嫌だと言うのなら俺たちは止めない。ただし、俺たち以外の人間に英美里ちゃんの存在がバレたとき、俺は十中八九、まず間違いなく軍事介入が発生すると思う。英美里ちゃんを捕まえることができなかったとしても、英美里ちゃんを原因とした戦争やテロが起きる可能性を、俺は否定できないよ」

 部室内の空気が凍り付く。

「考えすぎじゃないか」

 四谷が言う。けれど僕は、その四谷に対して窘めるような視線を送ってしまう。

 木戸が考えすぎて、四谷がどうにかなるさと高をくくって、僕がその周りでおろおろしているというのはよくあることではあった。

 そういう意味で、僕は比較的保守的であり、だからこそ今回は木戸の慎重さについていこうと思った。

「僕は四谷の言うことは正しいと思う。例えばさ、言うことを聞かなきゃ俺たちが殺される、みたいな方法で、英美里ちゃんに命令することだってできるだろ。英美里ちゃん一人の問題じゃないよ、これ」

 そのとき、かたっ、とキーボードが動いた。

『ごめんなさい』

 僕らは目配せする。木戸が言った。

「どうして謝る」

『皆さんに、ご迷惑をかけて』

「とんでもない」

『でも、こんなことになるなんて、』

 木戸の前に出てきて遮ったのは、四谷だった。

「わかった、はっきりさせよう」

 四谷が、柔らかく微笑んだ。その笑顔に、ときどき女の子がころっと騙されるのだ。
 そして四谷がゲームやアニメや理系廃人であることを知って、逃げていく。
 英美里ちゃんはどうなのだろうか。
 ひょうひょうと我が道をいく四谷のようなタイプがいいのか、それとも硬派な木戸か。
 姿が見えないため、その表情は窺えない。

 そもそも僕らは英美里ちゃんの顔さえ知らないのだ。
 四谷が優しく問いかけた。

「英美里ちゃん、君はどうしたい。自分の力で生きていけると思う?」

 恐れるように、キーが押される。

『いいえ』

「軍人、あるいは兵器になりたい?」

『いいえ』

「たぶん、木戸の説が正しければ、今の英美里ちゃんだったら最強の諜報員になれると思うけど」

『なりたくありません』

「俺たち以外の人に、今の自分を知って欲しいと思う?」

『思いません』

 即答だった。

 その返答に、驚かされたのは僕たちの方だった。

 僕たちは何でもできると思っていた。

 そして今――もしかしたら僕たちは、自分たちの手に負えないものを抱えてしまったのではないかと恐れを成していたところだったのだ。

 しかし――それは杞憂だったのかもしれない。

 英美里ちゃんもまた、僕らとならなんでもできると、思ってくれていたのだ。

「決まりだな」

 四谷が、僕と木戸を見る。

 こいつは本当に――自分の手柄にするのがうまい奴だな、と思う。

 決まりだ――その言葉一つで、まるでこの流れを四谷が作ったように見えるじゃないか。

 木戸はやれやれと肩をすくめて、言った。

「そうだな。俺たち三人で英美里ちゃんを守る。この世界に透明人間がいるということは、絶対に明かしてはいけない。これが、絶対に守られなければならない最上級のルールだ」

 僕らは頷いた。三人が三人とも、かつてないほどの決然とした表情だった。

「でさ」

 四谷が手を挙げる。

「腹減ったんだけど、購買になんか買いに行かねえ?」

 木戸と僕は、四谷のマイペースさにあきれかえった。

 木戸が唸るように呟いた。

「お前、……ほんと緊張感ない奴だな」

第7話を読む

「思ったんだけど服が全部脱げたってことは、今、英美里ちゃんは全裸なんだよな」

 僕は四谷をぶん殴っていた。

「なんで殴るんだよ!」

「お前はそこからどう続けるつもりだったんだ!」

「いや、透明人間って何がどうなって透明なのかなって考えたら、とりあえずいま全裸なのかなって思考に行き着いて、さ」

 僕はもう一発ぶん殴った。

「お前はちょっと黙ってろ」

 僕は四谷を押しのける。

 木戸が分銅を片付けた。

 机の上には秤が用意されている。

「おっし、校正終わったぞ。英美里ちゃん、……ちょっと恥ずかしいかもしれないけど、よろしく」

 そう――彼女はこれから体重を計るのだ。

 まあ確かにそういう意味では今彼女は一糸まとわぬ姿にあるわけで、女っ気のない科学部男子としては嫌がおうにも興奮してしまうというのもやぶさかではないのだけれど。

 

 けれど、僕らは独りでに荷重のかかり始めた秤を見て、唖然としてしまった。

「……すげえ」

 僕と木戸、そして四谷は三人で同時に呟いていた。

『あの、何がすごいんですか』

 僕らが一番最初に知りたいと思ったのが、体重だったのだ。

しかし女の子にそれを聞くのはどうなのだろうという感情はあった。

 そう、スペックとは、性能のことだ。

 英美里ちゃんがどんな状態なのかを知らなければ、何ができるのか、何ができないのかを考えることもできない。

というわけで、部長の木戸が代表して、英美里ちゃんに種々の計測がしたいと申し出たところ、英美里ちゃんは快くそれを承諾してくれたのだった。

 そしてまず最初に、体重を測定することとなった。

やましい理由なんてものはない。

単純に興味があったのだ。

 そしてその計測結果に、僕ら三人は息を飲んだ。

 木戸が言う。

「二十一グラムとはな、いや、恐れ入った」

 そして、四谷も毒気の抜けたような声で言った。

「全裸っていうか、魂、か」

 英美里ちゃんが、おどおどとした声で言った。

『あの、これが何か』

 僕は、プロジェクターの方を見て言う。

そこに彼女がいるという保証はないが、文字が表示される方をつい見てしまう。

僕は記憶が乱雑に散らばった頭の中をまさぐりながら言う。

「魂の重さは二十一グラムだって、よく言うんだよ。アメリカ人の、ええっと、誰だっけ」

「ダンカン・マクドゥーガル」四谷が即答。

「そう。その博士が、」

「正確には医者だ」四谷の注釈。

「その医者が、死ぬ間際の人と、その人が死んだ後の体重を量ったら、二十一グラムの損失があったっていう実験結果があるんだ」

「正確には四分の三オンス。二十一・二六二グラムだな」四谷の、

「細けえよ!」

 僕は思わずツッコミを入れる。

 僕らが見たとき、電子天秤は二十一・三四グラムを指し示し、それよりも小さな桁は値が振れてしまって計れなかった。

 木戸が、ぶつぶつ言いながら表計算ソフトで作った表に値を打ち込んでいく。

「英美里ちゃんが持ち上げることができた重さは五十三グラムまでか。なるほど、衣服を落とすわけだ」

 四谷が興奮気味に言う。

「分光計とか透過率も測定したいよなあ、流石に普通高校じゃあそんな設備はないなあ。先輩に聞いてみるか。っていうか魂って酸性なのかな、アルカリ性なのかな。粘度測定とかしたくねえ? ねえねえ、魂にこう、粘度測定用の棒をさ、」

 僕は四谷をぶん殴る――お前はいちいち言い方がやらしいんだよ!

 どうしてこいつは検証段階では冷静なのに実験になると急に息が荒くなるんだ。

 そして、木戸が冷静に英美里ちゃんに尋ねる。

「腹減らないの? っていうか視覚とか聴覚とかは。物を押せるってことは触覚はあるの?」

『物を見たりはできません。そこに何かあるな、とかそういうのがなんとなく分かるくらいで』

 木戸が、ここまでの情報をまとめた。

「つまりこういうことか? 透明で限りなく空気に近い二十一グラムの物質で構成されている。透明だから物を見ることができないのは自明だ。空気のように振動するから、音は聞こえるし物に触れることもできる」

 僕は頷いて言った。

「そういうことだろうな、たぶん。運動エネルギーの発生源が分からんが」

 その後ろから、四谷がめげずに叫ぶ。

「ていうか、飯食わずに五十三グラム動かせるって、永久機関になれるんじゃないのか? うっわあそれすっげえ作りたくねえ!? 透明人間永久機関! 俺たちノーベル賞取れるかもよ!?」

 木戸が四谷を押さえ込んだ。流石の四谷も筋肉バカの木戸に押さえ込まれては身動きが取れない。

「待て待て英美里ちゃんの自主性を尊重しろ! っていうかそんな公にしたらやばい、だろ」

 木戸が、言葉を飲み込んだ。

「どうした?」

 四谷が尋ねる。木戸は椅子に座って、真面目な顔をして言った。

「今更だけどさ、これ、もしかしたらすっげえやばい事態かもしれねえんだなって、思った」

「なんでだよ」

 四谷がひょうひょうと尋ねる。

それに対して、木戸の目は厳しかった。

「あのさ、今から言うこと、落ち着いて、冷静になって聞いて欲しいんだけど。……もしも俺がすっげえ悪い奴だったら、まず間違いなく――軍事利用する」

 僕らは、ごくりと息を飲んだ。

第6話を読む

 放課後の科学部室に、三年生の三人が集まった。

 僕と木戸、そして四谷だ。

どうして共学校の部活なのに女子がいないのかという問題は、大変ゆゆしき事態ではある。

弁解させてもらうならば、全く入っていないわけではない。

 僕らの代にたまたま恵まれなかっただけだ。

 この場に三年生の三人以外を呼ばなかった理由は一つだ。

僕と木戸とで話し合った結果、不用意に他言していい内容ではないという結論に達したのだった。

「それで」

 四谷が呟いた。

ことのあらましは大体説明し終えていた。

 四谷はぼさぼさのロン毛男で、身長も三人の中で最も高く、テーラードジャケットなんていうおしゃれなものを着ている。

顔も悪くないし、頭もいい。

そして現科学部内で唯一眼鏡じゃないのも四谷だけだ。

部内で一番ゲームやアニメが大好きで、夜通し遊び倒しているくせに全く目が悪くならない化け物男である。

「透明人間を救う方法を、三人で考えようってわけか」

「そうだ」

 木戸が自信ありげに頷いた。

「一年生担当の教員に聞いたところ、確かに名簿には佐々木英美里という少女の名前があるし、入学式から一週間くらい経って、ぱったりと来なくなったそうだ。いじめに関しては認知していなかった。すっとぼけているのか、バレないようにいじめが行われていたのかは分からん」

『たぶん、先生は知らないと思います』

 かたかたとキーボードが動き、プロジェクターを通して部室の壁に文字が刻まれた。

 四谷はその奇怪な現象を初めて見るはずなのに驚かない。

それどころか「へえ、すげえ! 本当に動いた! どうやって打ってんの!?」と興味津々である。

こういうとき――ああ、だから科学部ってだけで皆に一歩距離を置かれるんだろうな、と僕は思う。

木戸が言う。

「英美里ちゃんは元に戻りたくないが、しかし消えてしまいたいわけではないと言っている。つまり、今回の事件が今までの自分から脱却する良い機会だと考えているというわけだ。しかしながら、我々は今まで透明人間という存在を認知しておらず、その存在が社会に溶け込める姿も想像しきれん。一年かけて、英美里ちゃんの理想とする透明人生を作り上げるための手助けをすることが、未知への挑戦を飽くなき使命とする科学部員としての宿命だと考えるわけである!」

 使命なのか宿命はっきりしろよ、と言いたくなるのを堪えて、僕は頷いた。

 四谷が、ホワイトボードの前に立っている木戸に向かって尋ねる。

「一ついいか」

「なんだ、四谷」

「一年でいいのか?」

 僕と木戸は、四谷を見た。

「人生を支えるってのがどれだけ大変なことか、お前も、俺たちも、理解しきれているとは思えないんだが」

「いい質問だ。それに対して、こういうのはどうかと考えているんだが」

 木戸が机に手をついて、身を乗り出した。

「佐々木英美里ちゃんを、今日から、澄川高校科学部の幽霊部員とする」

 なるほど、と僕は思った。

「科学部員の鉄則はなんだ?」

 木戸の問いかけに、四谷が答えた。

「現部員、卒業生、分け隔てなく、その人生における協力を惜しまないこと」

「そうだ。先ほどあげたテーマそのものは、一年間で一つの結論まで達することを目的としている。がしかし、その後も我々は英美里ちゃんの人生のための協力を惜しまない。なぜなら、彼女は俺たちの同窓生になるのだから」

 木戸は僕と四谷を見て言った。

「異論はあるか」

「ない。英美里ちゃんに異論がないならな」

 四谷の返事は早かった。そしてキーボードが動き、

『ありません』

 と文字が打たれた。

 

「しかし、」

 四谷が背もたれに体重を預けて言う。

「一体どうすればいいんだろうな。英美里ちゃんの頭の中に明確な目標や想像ができているなら話は別だが、さっきの話を聞いた感じだと、どうすればいいのか分からない状態なんじゃないか」

 木戸が、太い両手を広げて言った。

「一つずつ考えていくしかないさ。腹が減ったら飯を食う。金がなくなったら働く。透明人現になっちまったら、困ったことから解決していくしかないだろう」

 四谷が手を挙げる。

 木戸が顔を上げて、四谷に聞いた。

「なんだ、四谷」

「ちょっとした提案がある。その、なんだ、……俺たち、情報が少なすぎると思わないか」

 僕と木戸が顔を見合わせ、四谷を見た。

 四谷は、頬をかきながら言った。

「まず情報収集が先だろう。つまり、その……透明人間のスペックを、俺たちは知るべきじゃないか」

 僕と木戸は、頷き合う。

 確かにそうだ。僕らは科学の一番大事なプロセスである――観察をするのを忘れていたのだ。

 かたかたという音が響き、プロジェクターで文字が投射される。

『あの、スペックって、なんですか』

第5話を読む

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