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「久しぶりですね」

 僕が一週間ぶりに部室に現れると、デスクトップパソコンのスピーカーから英美里ちゃんの声が響いた。

僕が装着している眼鏡型のウェアラブルコンピュータ越しに、彼女の姿が見えた。

 流石に日常的に圧力センサーを搭載した衣服を着るわけにはいかないので、普段は触れることができない。

現在、四谷と木戸は全身に圧力センサーをつけたインナーを開発中である。

その無限とも思える熱意と体力がどこから来るのか、僕はほとほと呆れていた。

「何してたんですか、ここ一週間」

「うん」

 僕はなんとなく答えづらくて、冷蔵庫から麦茶を取り出してコップに注ぐと、それをあおった。

「予備校、行ってたんだ。僕は木戸や四谷みたいに、頭よくないからさ」

 本心ならば、僕も圧力センサスーツの開発を手伝いたかった。

 何かを作ることこそ人生で最高の遊びだと思う集まりが、僕ら科学部なのだから。

 だけれども、僕はまず受験生だった。

 僕が椅子に座ると、英美里ちゃんの姿をした映像が左隣に座る。

椅子が動いたように見えたけれど、実際には動いていない。

眼鏡型のコンピュータ越しに、そう見えているだけだ。

「受験、するんですか」

「うん。四谷たちと同じ大学に行きたいんだ。……ねえ、英美里ちゃん」

「はい、なんですか、先輩」

 僕は、彼女の黒い髪から目をそらした。

目を合わせられなかった。

けれど、やっぱり見てしまう。

今や英美里ちゃんは、最初の頃のようなどこかの漫画やアニメにでもいるようなデフォルトされた体ではなくなっている。

きめ細やかにモデリングされ、調節され、限りなく生身の人間に近く見える。

ボブカットの黒い髪。

高校一年生らしい丸く幼さの残る頬。

そこにニキビやそばかすはなく、アトピーの類いもない。

背も低く、そしてこの学澄川高校の女子制服である校章入りのワイシャツをとチェックのスカートを着ていて、表情には二十一グラムの魂がたたえられている。

 不気味の谷を、いつの間にか越えていた――と僕は思った。

唐突に、そのことに思い至った。

不気味の谷というのは、ロボットを人間に近づけようとすればするほど、不気味に見えてしまう現象のことで、それを超える方法はまだ分かっていない。

 しかし、英美里ちゃんが超えられないはずはなかったのだということも、すんなりと腹の底で受け止めきっている自分がいた。

だって、彼女はロボットではないのだから。

はじめから人間なのだから。

正確には、彼女は不気味の谷を超えたのではなく、最初から超えていなかったというべきだ。

「僕らが卒業したら、君は、どうする」

 英美里ちゃんは、答えに窮した。

数学の問題集のページをめくった瞬間のような顔をした。

驚きまではいかないものの、意表はつかれた、というような顔。

「どうしたらいいと、思いますか」

「……今の君のことを知っているのは、この世界中で僕ら三人だけだ。僕らがいなくなったこの科学部に残るのは、難しいと思う」

「じゃあ、出て行くしかないんでしょうね」

 英美里ちゃんは優しい顔をした。

薄く笑んで、傷だらけの机を見つめた。

「僕らと一緒に、大学に来ないか」

 僕は――その一言に、異様な緊張感を強いられた。

「そのために、……先輩は予備校に?」

 僕は頷く。

さっしのいい彼女は、僕がこのままでは四谷たちと一緒に行けないと言うことと、この話を関連づけた。

英美里ちゃんは、僕ら三人さえいれば、どこへなりとも自由に行ける。

けれど僕は違う。

僕は、生身を持つ人間として、生身の人間が歩くべき道を歩かなければならない。

「あいつら二人には、それぞれやりたいことがあるんだ。もちろん僕にもある。僕にもあるけど、僕はあいつらみたいにはなれない。だから、僕は僕なりに、なれるものを探さなくちゃならない」

 英美里ちゃんは頷く。

その顔を僕は見る。

 そして、言った。

そういう気持ちを言葉にしたのは生まれて初めてだった。

「英美里ちゃん、僕と、付き合ってくれないか」

第13話を読む

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 図書館で勉強していた僕は、雑草になった気分だった。

 美しい花を色づかせる木々を見上げてため息をつく、雑草だ。

 ペンを置いて、僕は窓の外の青空を見た。

 夏の日差しを浴びて歩く英美里ちゃんの姿を想像する。

 今の彼女ならばどんな服が似合うだろうか、そんなことを考える。

 自分が着るわけでもないのに女性ものの服をネットで検索して、彼女のデジタル映像姿にその服をデザインしてあげたら喜んでくれるだろうか、なんて考えてみる。

「っと」

 そんなことを考えてる場合じゃない、と僕は机に向き直る。

 勉強しなければ――僕は、木戸や四谷と同じ大学に行きたいと考えていた。

 この澄川高校で出会えた二人の刺激的な思考回路に、もっと触れていたいと思っていた。

 勉強しなくちゃ――そう思いながらも、頭のなかから英美里ちゃんが離れてはくれない。

 僕は苦笑する。

 そりゃあ視覚的に惹かれるのは仕方ない。

 デザインを手伝っている時点で、僕の好みが入るのは仕方のないことだった。

 僕は勉強して、大学に行く。

 木戸も四谷も、それぞれの道を歩いて行く。

 じゃあ――英美里ちゃんは?

 彼女は一体どうなる?

 僕の手が止まる。

 数学の教科書に書かれている問題が、ただの模様にしか見えなくなる。

 そもそもなんで勉強しなくちゃいけないんだ?

 そんなの――勉強して会社に入って金を稼がなければ生きていけないからに決まっている。

 でも。

「……助けたいな」

 勉強して――もしも叶うのであれば、僕の知識、力、経験が、英美里ちゃんの助けになればと思う。

 科学で人を救えると盲信する気はないけれど、科学でなければ救えない人はいると思う。、

 僕が英美里ちゃんを救える保証はないけれど、この世界の誰かがその役目をしなければいけないと思う。

 だって、そんな小さな希望ですら叶わない世界なんて、報われなさ過ぎるじゃないか。

 ――わたしは、うまれてこないほうが、よかったんです。

「そんなことって、あるのかな」

 そんなこと、あるわけない。

 断言したかった。

 英美里ちゃんに向かって、そんなことないって言いたかった。

「勉強しよ」

 僕は、模様にしか見えていなかった数式が、突然超えるべき壁に見え始めたことに気がついた。

「……勉強って、義務じゃなかったんだな」

 どこの地点でそれが起こったのかは分からない。

 僕の中で、何かが切り替わった。

 受験という壁が、超えなければならない義務ではなく、超えることのできる権利に見えた。

 ――試されているのかもしれない。

 このあとゲームするために勉強しようとか、明日漫画を買いに行くために今のうちに予習しておこうとか、そういう理由ほど惹かれない理由もない。

 けれど、英美里ちゃんを救うためだと思った瞬間、急に、僕は自分の目の前に転がっているあらゆる壁が、超えるべき道、掴むべき権利のように思えた。

 これこそ盲信だな、と苦笑する。

 けれど、この盲信は存外心地よい。

 

 僕は、自分の想いを自覚する。

 僕はあの夜、英美里ちゃんの落としたものを抱き留めた。

 だからこそ、この僕が、英美里ちゃんを救わなければならないのだ。

第12話を読む

 ついに失踪届けが出た。

 英美里ちゃんが透明になって、一週間後のことだった。

それまで親は一体何をしていたんだと思ったけれど、真実は英美里ちゃん本人の口から――いや端末から語られた。

「わたしは、うまれて、こないほうが、よかったんです」

 英美里ちゃんの声は幾度かのアップデートを繰り返した。

四谷の努力によって機械音声によるバスの乗降アナウンスくらいの精度になっていた。

すごい進歩だと僕と木戸は喜んだが、四谷は著作権フリーの機械音声データ素材を拾ってきただけだとあけすけにいった。

「わたしは、ほんとうのちちおやが、わからないんです」

 僕らは息の詰まるような思いだった。

いつもの午前三時。

部室には、僕と木戸、そして四谷が集まっていた。

椅子に座ってお茶の入ったコップを持って、僕らは英美里ちゃんの端末を囲んでいた。

「おかあさんは、わたしのことが、きらいなんです。だれの、こどもか、わからないから。うまなきゃ、よかったって、よくいってました。わたしは、おさないころから、びょうきがちで、あとぴーとか、ぜんそくとか、でもせだけは、なぜかやたら、のびて、」

 ――それで、いじめられました。

 機械の声で淡々と語られるその言葉が、僕らの胸を締め付ける。

 透明人間になって後悔はないと言っていた。

捨てることになんの未練も沸かない過去の、その内実。

「どうなるのかな」

 僕は呟く。

「どうもこうも、絶対に見つかりっ子ないだろ。何ヶ月か何年か忘れたけど、死んだことになるんじゃないのかな」

「だとしても、おかあさんは、きっと、そうしきなんて、しないとおもう」

 携帯端末の画面に、少女の表情が描かれた。

それは、僕らが作り上げた英美里ちゃんの顔だった。

黒髪、黒目、どこかのゲームかアニメの背景で歩いていそうな、どこにでもありそうな姿。

英美里ちゃんが「これがいい」と言ったとおりにデザインしてできた、普通の姿。

 その普通が、英美里ちゃんの一番欲しかったものなのかもしれない。

 それを正しく作り上げることができているのか、僕は不安になった。

これでいいのだろうかと。

僕らは英美里ちゃんのためになることができているのだろうかと。

 普通の少女の、決然とした表情。

喜んでも、怒っても、悲しんでもいない。

笑っているわけがない。

けれど無表情とは違う。

四谷に教わってモデリングの勉強を始めた英美里ちゃんが作り上げたその表情は、今やどんな感情要素で構成されているのか僕らには分からない。

 けれど、一つ言えることは、その表情だけは、英美里ちゃんが本気で、本心で作りたかったものに違いないのだということだった。

 

 ある日の放課後。

 四谷と木戸が帰ったあとの部室で、僕は教科書を開いて勉強をしていた。

 天才の四谷や、努力することを苦に感じない筋肉バカの木戸とは違い、僕は正直言って、あの二人についていけるような学力を手にするのは一苦労なのだ。

 僕は椅子の背もたれに寄りかかる。

 窓の外は少しずつ暗くなっていく。

 最近ではまともな部活動の時間に部室にいる三年生は僕だけだった。

 活発な一、二年生はと言えば、遊びに行ってしまうことが多い。

 今日も、部室には僕だけだった。

「せんぱい」

 いや、もう一人いた。

 幽霊部員で透明な少女――佐々木絵美英ちゃん。

「なに?」

「わたし、あえたのが、せんぱいで、よかったです」

 僕は、どきりとした。

「そっか」

 なんでもない風を装って、僕は再び机に向かった。

 理由もなく、今よりも楽しい瞬間なんて、一生の間に二度と来ないのではないかと思った。

 

                           

 

 僕らは受験生らしく勉強する一方で、図書館の歴史書を片っ端から引っ張り出してマジックでめちゃくちゃに上書きするかのごとく、狂ったように遊びまくり、そしてサボりまくった。

 爽快だった。

それはもう、一年生の頃に戻ったような気分だった。

 その間にも僕らは勉強を放り出して、英美里ちゃんをこの世界に刻み込むことに必死になった。

英美里ちゃんの声はどんどん不自然さがなくなり、継ぎ目が消えた。

 一度、パソコンを持ち込んで四人でカラオケにいった。

携帯端末の速度では歌うことなんてできないけれど、英美里ちゃんのパソコンのタイピング速度は、もはや僕ら三人をごぼう抜きしていた。

早口な曲からバラードまで、英美里ちゃんはなんでも歌いこなした。

ときどきタイプをミスったり、音を外したりするたび、僕らは笑い転げた。

生まれ持った体で出す声が綺麗だったかは知らない。

歌が上手だったかどうかは知らない。

けれど、僕らと一緒にカラオケをしている英美里ちゃんは本当に生き生きとしていた。

もしかしたら、誰かは言うかもしれない。

機械で作った声と、機械で作った体でできた少女なんて、と。

親からもらった体を捨てるなんて罰当たりな、と言われるかもしれない。

けれど僕は、そこに本当の彼女がいないなんて、あり得ないと思った。

そこに、本当に自分がなりたかった自分がいるのなら、それを否定する権利なんて誰も持ってないと思った。

 

「先輩」

 英美里ちゃんは僕のことを、先輩と呼ぶ。

 七月の初めだった。

あっという間の三ヶ月だった。

その頃には、僕を呼ぶ先輩という声にもいろんなバリエーションができていた。

何しろ僕らが授業を受けたり眠ったりしている間、有機物でできた体を持たず眠る必要さえない彼女は、いそいそと自分の勉強をしたり、練習したりできるのだ。

「分かりますか」

 僕は――ぞくりと背筋に鳥肌が立つのを感じた。

 僕は薄手の黒いグローブに左手を通しており、その左手が、見えない何かにきゅっと手を捕まれたのを感じた。

 僕は顔を上げる。木戸と四谷と目が合った。

「……握ってる」

 基本的に、会話と簡単な表情以外の複雑な動き――例えば歌ったり、モデリングを踊らせたり――をするためには、英美里ちゃんはキーボードと、簡易型のミキサーを使用する。

ミキサーを利用することを提案したのは木戸だ。

バンドマンの兄を持つ木戸が、リアルタイムで絶妙な入出力の強弱をコントロールするなら、音楽に使うミキサーのようなものが一番だと提案したのだ。

それを使って、英美里ちゃんは自分の声や、モデリングの表情、手足の動きなどを細やかに操縦することができるようになった。

 そして今――僕は初めて、英美里ちゃんと手を握っている。

 眼鏡型のウェアラブルコンピュータには、モデリングで作った英美里ちゃんの姿が映し出されており、その左手が僕の左手を握っているように見える。

グローブをつけていない右手で英美里ちゃんの左腕に触ろうとすると、空を切る。

けれど左手には――グローブにフレキシブル基板を搭載して内蔵した圧力センサによって、握手の感触が伝わってくるのだ。

「やったな!」

 三人で、拳をがつんとぶつけあった。

 木戸が椅子に座って笑う。

「それにしても、俺ら四人揃ってバカだよな。せっかく透明人間になったのに、わざわざ実体を戻そうとしてるんだぜ?」

 部室に笑い声が響く。

その中には、少女の鈴のような笑い声もある。

英美里ちゃんが僕を見た。

僕も、笑いながら英美里ちゃんを見ていた。

 いつからか――僕らという言葉が指すものは、三人ではなく四人になっていた。

 

第11話を読む

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