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20131203決定版

著:水円花帆(みずまるかほ)
イラスト:ふしぇ様
タイトルデザイン:twotonepanda様


短編小説『今宵少女は透明思想』 
制作に協力して下さった方々、読んで下さった方々、そして素晴らしいコンテストを開催してくださったライブドアブログ様およびimpressQuickBooks様、 ありがとうございました。

なお、下記ブログにて水円の新作を随時更新中ですので、興味のある方は是非足を運んで頂けると嬉しいです。
短編小説『ブリリアント・チーティング』(完結済み)
http://brilliant-cheat.blog.jp/
短編小説『揺り籠ディストピア』
http://blog.livedoor.jp/mizumaru0624-yurikago/
短編小説『借名!救世主・信長くん』第一部
http://s-nobunaga.blog.jp/


水円花帆

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 それから、沢山喧嘩した。

 英美里と、それから時々は、木戸や四谷と。

 僕はなんとか木戸たちと同じ大学の同じ学部に進むことができた。

それまでも、それからも、数え切れないほど遊んで、語って、そして浴びるほど酒を飲んだ。

 そして、月日は掴もうとするそばから流れて行ってしまい、僕らは四人で年をとった。

 

 僕ら四人を乗せた軌道船が、地球軌道上を周回する国際宇宙ステーション――ISSに近づいていく。

 眠らない勉強家――英美里の協力によって、僕ら科学部卒業生の三人は、大学の研究室でめざましい活躍を果たした。

 なにしろ英美里は体がないのだから、疲れというものを知らないのだ。

 魂に疲れがあるのだとしたら、残念ながら僕はまだその疲れを癒やす方法を知らない。

 何気ない会話とか、そういう日常で癒やしに近いことができていたらと願ってはみるけれど、うまくできている自信はない。

一番輝かしい功績を残したのは例によって四谷だったが、その四谷に引っ張り上げられるようにして、僕らは研究に没頭し、そしてこうして今、日本を代表する研究者として宇宙にいる。

 僕ら四人は――しかし最大の謎である透明人間化については、未だになんの理論の欠片さえ掴めていない。

しかし、最早そこには四人揃って触れないようになっていた。

触れることが恐いのではなく、ただただ目の前に転がる新しくおもしろい問題を四人で解決してきたら、いつの間にかこんなところまで来てしまった、それだけのことだ。

 あれから、スペースシャトルの打ち上げにかかる費用はずいぶんと安くなった。

それには僕らや、その大先輩である科学部の人々が大いなる貢献を果たしている。

そのおかげで、僕らはこうしていま、シャトルから切り離された軌道船によって、ISSを目指しているのだ。

 僕は、英美里の肩を叩いて、窓の外にある白く輝く惑星を指さした。

「月が綺麗だよ」

「実体のない私には見えませんし、こんなところで死なれたら困ります」

「……君さ、結構理屈っぽくなったよね」

「先輩たちと一緒に過ごしてきたからですよ。先輩と一緒じゃなかったら、理系の勉強なんて絶対しなかったです、私」

 耳元に嵌めたイヤホンに、木戸の声が響いた。

「おーい、準備できたぞ」

昔と比べるとひび割れて、随分とまあおっさん臭い声になったもんだと思う。

いつも一緒にいたから分からなかったけれど、地球を出る前に記念にと見た高校時代の映像では、木戸の声はまだ少年の響きが前面に出ていたのだ。

 僕は木戸に向かって頷き返した。

 船に振動が伝わり、ISSとのドッキングが成功したことを告げるアナウンスが響いた。

「おう、……いよいよだね」

「はい。……ねえ、先輩」

 僕は振り向く。

そこには、AR技術によって実体化した英美里の姿があった。

僕ら三人は圧力センサを搭載したインナーを着ているため、英美里の体に触れることができる。

法的に結婚したり、子供を作ったりすることは叶わなかったけれど、僕の胸ポケットと。英美里の左手の薬指には、同じ指輪が収まっている。

実体のない英美里はともかく、地球から宇宙空間へ移動する僕は、指輪をつけておくことができないのだ。

 僕には生まれ持った体がある。

けれど、彼女のその体は、生まれ持った体とはかけ離れてしまった。

けれど、それが僕にとっての英美里であり、彼女にとっても本当の、真の自分を表現できる姿なのだと、今では僕ら全員が信じているのだった。

「ねえ、先輩」

「なに」

「私が透明になった日も、今日と同じくらい月が綺麗でした。お陰で私は、学校の屋上から飛び降りる勇気を持てなくて、お陰で、先輩たちに出逢えたんです」

 僕は、頷いた。

 視界に描き出された英美里の手を握ると、グローブ内の圧力センサーが彼女の手を握ったという錯覚を僕に与えた。

その錯覚こそがこの世の真実であると、僕は思った。

目に映っているもの、耳が捉えたもの、触れたものたち、それら全てが絶対に正しいという保証など、何一つないのだ。

そしてそのことを忘れさえしなければ、大切なものを掴み損ねたりすることはないということを、僕らは既に知っている。

 僕は前を向く。

木戸と四谷が待つISSの入り口へと向かう。

「行くぞ」

 僕らだけの秘密が、今、世界を動かす一歩を刻もうとしていた。

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 びくりと――英美里ちゃんの姿が震えた。

乱れ、驚きと羞恥心の針が振り切ったような顔をして、そして勢いよくばちんと――かき消えた。

 消したのだ――自分の姿を。

 僕は驚きつつも、一方で冷静な自分がいることにも気がついていた。

想像していた反応のうちの一つだったからだ。

…どうしてですか

「好きだから」

 僕の声に対して声だけが返ってくる。

 英美里ちゃんの姿は現れない。

「嘘、……辞めてください。そんなの嘘です」

「嘘じゃない。僕は、君を助けたいんだ」

「好きでもないのに勝手なこと言わないでください!」

「どうして好きでもないなんて、言うんだよ」

 先ほどまで座っていたところに、英美里ちゃんの姿が再び現れた。

俯いていた。

怒ったような、悲しいような、そういう表情だった。

「先輩が好きなのは私じゃない。透明人間に好きな声と体をあてがって、楽しんでるだけじゃないですか」

「そんなこと、僕は、君のために、」

「私のためにしてくれたことだって、それは、分かりますよ。分かりますけどでも、……むなしくなるんです」

「あのさ、僕、思うんだけど。化粧みたいなもんじゃないか。誰だって綺麗になりたいと思うし、綺麗な声になりたいと思う。それはきっと、たぶん、皆に好かれたいって、潜在的に誰もが思ってるからだ。そのための努力をすることって、そんなにむなしいことかな。誰もが素顔を見せなくちゃいけないのかな。そうやって見て欲しい自分を作ろうと頑張ることって、本当の自分じゃないのかな」

「分かってます。分かってますけど、でもむなしくなるんです。仕方ないんです」

「むなしいと、つきあえないの?」

 がたん――椅子を蹴飛ばして、英美里ちゃんは立ち上がった。

そういう音と映像が、僕の世界には描き出されていた。

「じゃあ先輩は、どんなに不細工でも化粧して綺麗だったら好きになれるってことですか!?」

「どんなものを好きになれるとかなれないとか、記号で話をするなよ。問題なのは、俺が誰を好きで君が誰を好きかってことじゃないのかよ」

 彼女は、片手で顔を隠し、机にもう片方の手をついた。

支えなければならないのは、二十一グラムの体重よりももっとずっと重いものだ。

「どうして……、やめてください。私は、誰かに好かれるような人間じゃないんです」

 彼女が、顔を上げた。

その目を、頬を、涙が伝った。

「私がどれだけの恐怖を抱えて今ここに存在してるか、先輩に分かりますか!? 分からないですよね! だって先輩は透明人間じゃないから! この世界から消えてしまいたいだなんて思ったこともないし、いつ世界から切り離されてしまうのかなんてことも考えたことない、平和な、幸せな人間じゃないですか! 押しつけないでください! 私は恐いんです。この世界が恐いんです。もう散々この世界には裏切られ続けてきたんです。その上さらにリスクを冒すようなこと、させないでください。これ以上世界の幸せな部分を私に見せないでください。失う恐さを知らない先輩には分からないかもしれないけど、私は、先輩と一緒にいるだけで、いつ裏切られるかと思うと恐くてたまらないんです」

「どうして僕が、君を裏切らなくちゃいけないんだ」

「じゃあ先輩は、透明人間と結婚できると本気で信じているんですか。それか、もしも私が元に戻ったら? 不細工な上にデカ女で少しも可愛くない卑屈な私を、本気で好きになれますか? 自殺しようとするような精神不安定な女を。幸福を差し出されても全力で突っぱねてしまうクズ女を、先輩はそれでも、好きだと言えるんですか?」

「言える」

「出会い系で見せられた写メが可愛かったからって会いに行ったらとんでもない不細工が出てきてもいいって言うんですか!」

「だから記号とか例題で話をするなって言っただろ! いつ僕と君が出会い系で会ったんだよ! もしも君のことを何も知らない状態で会ってたら、好きになってたかなんて分からないだろ!? 君のことを知った今だから、好きだって言ってるんだよ! 顔とか声とか透明だとか、そんなの関係ないだろう! 僕はそうやっていろんなことで傷ついてる君を、守りたいんだよ!」

 彼女はぐいっと涙を拭った。

ぎりっと奥歯を噛みしめて僕を睨んだ。

「嘘。……嘘、嘘、絶対に嘘。実物の私を見てもないのにどうして好きだなんて言えるんですか。良かったですね、透明人間で。好きな画像と声を当てはめて、いくらでも自由に想像できるんですから。私は先輩の顔を見られなければ、触れることだってできないのに!」

「確かに触れないけどさ。本当の君がどこにいるのかなんて、分からないけど、でもっ。今君が擁護しようとしてる醜い自分って奴は、見て欲しい自分なのかよ」

「そんなの、」

「それが本当の自分でいいのか? 透明になって、初めてこの部室にきたあの日、君は言っただろ。元に戻りたくなんてないって! 透明になってしまった自分に後悔はないって、言ってたじゃないか! 嘘をついてるのは僕じゃない。君のほうだ。言えよ。君が見て欲しいのは、どっちの自分なんだよ。醜い自分をそんなに俺に見せたいのかよ! 違うんじゃないのか!」

 英美里ちゃんの表情がくしゃっと歪む。

 一体その表情を作るために、どれだけのファクターを制御しているのだろうか。

考えるだけで気が遠くなる。

僕らが当たり前のようにしているその表情を、声を作り出すために、彼女は途方もない努力をしたのだ。

 どうして、それが報われちゃいけない?

 どうしてその努力を祝福したいと願っちゃいけない?

 英美里ちゃんは、ごしごしとワイシャツの袖で涙を拭き取ると、うつむき、悄然と呟いた。

「先輩は私を裏切らないかもしれません。でも私は、先輩を裏切らない自信がないんです」

「どういう、」

「いつ消えてしまうかなんて分かりません。いつ元に戻るかも分かりません。そうなったとき、私は先輩を裏切ります。好きになってくれた人を置いて、今ここにいる私はいなくなってしまうんです。そういう不安定な場所に私はいて、いつここから落ちるか分からなくて、だから、私は人を好きになったりしちゃ、いけないんです」

「そんなことない。誰かを好きになっちゃいけない人なんて、いていい訳がない。さっき言っただろ、潜在的に、人は誰もが好かれたいって思ってるって」

「それは幸福な人の理屈です。ただの、何の意味もない正論です。私には絶対に当てはまりません。好きになるのも、好かれるのも、どっちも私には荷が重いんです」

「一番最初に、助けてって、言ったじゃないか」

 僕は立ち上がった。

僕の後ろで椅子が倒れる。

「今も、辛いって。荷が重いって。……どうして助けてって言ってくれないんだよ。どうして荷が重いなら下ろそうとしないんだよ。助けるって言ってるんだよ! その荷を少しでいいから僕に分けてくれって言ってるのに、どうしてふさぎ込もうとするんだよこの分からず屋!」

 僕は――自分の無力さに憤慨した。

今すぐその細い彼女の腕を掴んでやりたいのに。

僕の生身の腕は、彼女の腕に触れることさえできないのだから。

「偽物なんですよ」

 英美里ちゃんは、自分自身を呪う老婆のような醜悪さを表した。

泣き腫らした顔で、世界の全てを憎もうとするかのように。

「ここにいる自分が本物であるなんて保証、どこにもないんですよ。その恐怖が分かりますか。どうしたらいいか分からなくて、好意に答えるのも間違いなんじゃないかって、そういう想像したら余計に分からなくなって、ぐちゃぐちゃになって、」

「だから、助けるって言ってるだろ」

 僕は声に力を込める。

今ここで僕が引いたら、一体誰が彼女を助けられると言うのか。

「誰かを助けたいだけなんじゃないんですか。別に私じゃなくても良かったんだ。先輩は偽善者だ。先輩は、ただ誰かを助けたいだけで、たまたま都合のいい私が現れたから、」

「じゃあ君だって、別に助けたのが僕じゃなくてもよかったっていうのか。偽善じゃない僕以外の人間に助けられたほうが良かったっていうのか」

「そんなわけないじゃないですかッ!」

 ビリッ、と――僕の全身に、風がぶつかったような気がした。

「助けてくれたのが先輩でっ! 嬉しいに、決まってるじゃないですか……!」

 英美里ちゃんの叫び声だった。

それが、僕の体にぶつかったのだ。

 たった二十一グラム――けれど、そこに確かに彼女はいるのだ。

「先輩じゃなかったら、私は、声や体をもらうことなんてできなかった……。ほんとに、嬉しかったです。先輩が、私のためにいろんなことを考えて、いっぱい勉強して、……嬉しかったです。嬉しくなかったわけ、ないじゃないですかっ」

 英美里ちゃんが、僕の体に駆け寄った。

拳を僕の体に打ち付け、髪を振り乱して泣きわめいた。

その衝撃、体温、その他様々な、彼女がそこにいるのだと証明する物理現象の全てを、僕は一つとして感覚することができなかった。

 これほどまでに、自分の無力さを感じたことなんて、なかった。

「今更、先輩以外の人を好きになれるわけないじゃないですか!」

「僕もだよ。……僕もなんだよ。今更、君以外の人を好きになれるわけ、ないんだ。だからお願いだよ。僕は英美里ちゃんと一緒に、生きていきたいんだ」

 彼女は泣いた。

 僕の頬にも、涙が伝った。

 彼女の体温を僕は感じることができないけれど、いつか生きている内には、必ず彼女を抱きしめてやると思った。

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